休日のよくある話──中間管理職が感じる“水を差された感覚”

今日は久しぶりに天気がよくて、ロードバイクで風を切っていた。
ペダルを踏みながら、頭の中もスッと軽くなる感覚。
「ああ、休みの日ってこういう時間のことを言うんだよな」なんて思いながら走っていた。

そんなとき、スマホがブルッと震えた。

職場からの連絡だった。
内容は確認と報告。正直、想定の範囲内。驚きもない。

でも──気持ちはほんの少しだけ沈んだ。

「楽しんでたのになぁ」
そんな風に思った瞬間、心に水を差されたような感覚があった。

目次

気持ちの切り替え

連絡に慣れているはずなのに、心が揺れた

仕事の連絡が来ることには、もう慣れている。
中間管理職という立場になってからは、
休日や勤務時間外でも連絡が来るのは当然のこととして受け入れてきた。

内容が急ぎでない限り、イラつくこともない。
「確認しておいてほしい」「報告しておきます」
そういう連絡は、ある意味“いつもの風景”だ。

それでも今日は、ほんの少しだけ気持ちが引っかかった。
自分の時間を楽しんでいたからこそ、
その“静かな入り込み”に、少しだけテンションが落ちてしまった。

頭ではわかってる。でも、タイミングだけは…

「責任ある立場なんだから、いつでも動けるようにしておくべき」
自分でもそう思っているし、それができることに対して誇りもある。

実際、年収が上がるということは、そういう“対応力”も求められるということ。
それは理解しているし、受け入れている。

ただ、今日は休日だった。
ロードバイクに乗って風を感じていた。

タイミングだけは、できれば今じゃなかったら──
そう思ってしまうのもまた、本音だった。

家族と出かけているときだったら、
旅行中だったら、
そのときも同じように連絡が来るのだろうか。

それを考えると、「中間管理職にはプライベートってあるのかな」と思ってしまう瞬間もある。

休日サイクリング中、仕事の連絡が届いた瞬間の心の揺れ

時間の境界線の難しさ

休日に仕事の連絡が来ることに、怒りはない。
それはもう、この立場になってから自然と受け入れてきたことだ。

中間管理職というのは、いわば“常に境界線の上に立っている存在”だと思う。
現場と上層、スタッフと組織、責任と自由。
そして──オンとオフの境界も。

もちろん、連絡が来ることで対応がスムーズになるなら、
そのほうが職場のためにもなるし、自分の仕事もやりやすくなる。

でも、家族と出かけているときに電話が鳴ると、
楽しみにしていた旅行の空気が一変してしまう。
自分も少し気を取られ、家族も気を遣う。

そんなときにふと思う。
「これって、本当に“あるべき働き方”なんだろうか?」

プライベートが完全にないとは思っていないけど、
境界線が曖昧なままでは、どちらの時間も中途半端になってしまう。

それでも、どうにかうまく両立させたい。
そんな思いで、今日もまた“調整役”としての自分と向き合っている。

まとめ:「働き方」だけじゃなく「時間の持ち方」も整える必要があるという気づき

今日の仕事は“実際にはしていない”。
でも、心のどこかでずっと“仕事の存在”を感じていた。

サイクリングをしているときも、家族と過ごしているときも──
時々ふと、心の片隅に仕事が入り込んでくる。

中間管理職という立場は、そんなふうに「境界線」が曖昧だ。
プライベートを守ろうとすればするほど、どこかで“職務を意識する自分”に気づく。

でも、だからこそ思う。
自分の時間の価値を、もっと大切にしたい。

境界線は完全には引けなくても、
せめて「今は自分の時間」と感じられるような心の余白を持っていたい。

もしあなたにも「せっかくの休日に、仕事の影が差し込んできた」
そんな経験があるなら──

どうやって気持ちを切り替えていますか?
自分の時間をどう守っていますか?

僕もまだ答えを探している途中です。
でも、こうして言葉にしながら、
少しずつ“自分の働き方”を整えていこうと思っています。

次回は、「時間を取り戻すための小さな工夫」について書いてみますね。

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