「改善の先に孤独があった。それでも進みたかった話」

目次

なぜこの話を書くのか

「仕事を良くしよう」と思って動き出したはずなのに、
気づけば、なんだか周囲との距離ができていた…
改善を進めるほどに、なぜか孤独になっていく…
それでも止めたくなかった理由がある。
同じように感じている人へ、この記録が届いたら嬉しい。

自分の立場と最初の動機

私が介護福祉施設の中間管理職として改善を始めたきっかけは、
とにかく日々の業務に無駄なことが多すぎるからだ。
特に強く思ったのは、「今の常識が非常識ということを認識していない」という点だ。

1日は24時間で勤務している時間は大体が8時間ぐらい
それなのに、ダラダラ働いたり、やらなくても良いことをたくさんやったりして無駄に時間と体力を浪費してしまう
その結果1番やらなければいけない仕事が疎かになり十分な価値提供ができていないことがとても多い
現場からは、
「給料が上がらない」
「疲れた」
「何で私だけが」


不満を言って一時的にストレス発散は出来るかもしれなけど、残念なことに不満を聞く回数が増えてしまうことで脳が不満に犯されてしまう

それなら、「仕組み」そのものを見直すべきだと思った。
「出来ることは簡略化したり」
「動きやすいシステムを作ったり」
「情報共有を円滑にしたり」


全てをシンプルな方向に持っていくことで時間を作ることに成功して、本来行うべき仕事に注力していける環境を作ることで働きやし職場をできるのではないかと思ったんだよね

どんな改善をしたか/最初の反応

実際に行った改善内容は、どれも「日々の無駄を減らす」ことが目的だった。

  • 施設内の物品整理と一覧表の作成
  • 食材管理の見直し
  • 紙ベースの研修を、アンケートフォームでの記録に切り替え

どれも小さな変化。でも、業務の手間を減らして、情報共有を円滑にするための工夫だった。

だけど、スタッフの反応は冷たかった。

「また何か始まった」
「面倒くさい」
「元に戻してよ」

そんな空気がじわじわと広がっていった。

自分の時間を削って、調べて、作って、ようやくカタチにしたもの。
それがまるで“無意味”のように扱われることが、正直、つらかった。

「なんで?なんでこんな結果に?」

あまりの空虚さに、全部削除してしまおうかとすら思った。
でも、そのたびに頭に浮かんだ言葉がある。

「このままでいいのだろうか?」

どうして、誰も受け入れようとしないのか。
建設的な意見すら出ないのはなぜなのか。

当時の自分は、「みんなのためにやってる」「これが正しい」と信じていた。
世の中はDXだICTだと変化の真っ只中なのに、なぜここでは変われないのか。

本で読んだ言葉が思い出された。
「馬を水飲み場に連れていくことはできる。でも、水を飲むかどうかは馬次第だ。」

この言葉の意味を、やっと理解した気がした。
本当に変わるには、「自分が正しい」だけじゃ足りなかったんだ。
今の自分は、“他人のため”と言いながら、実は“自分よがり”だったのかもしれない。

改善することに意味はある。でも、それを“共に進む姿勢”で届けなければ、意味は届かない。

そう気づいた瞬間、悔しさの中に、少しだけ静かな納得があった。

変わっていく空気と、心の距離感

いつの間にか、周囲との間に溝が広がっているように感じた。

最初は「いいことをしてる」と信じてた。
無駄を減らす、働きやすくする、つまり生産性を上げる。

でも、自分の動きだけが“浮いている”ような感覚があった。

周囲は変わらない。
変えようとする自分だけが、“何かを乱す存在”になっていくようだった。

会話の中で、微妙な間が増えた。
書類の提出が遅れる。
話しかけても「忙しいんで」と言われる。

正面からの拒絶ではない。
でも、“違和感のある距離”が確かに存在していた。

どこで間違えたんだろう?
自分の考え方?
進め方?

気づけば、職場の中で、ひとりで動いているような感覚になっていた。

「やるなら勝手にやればいい」
そんな空気の中に、正直なところ、孤独と虚しさを感じていた。

それでも進みたかった理由

それでも、やっぱり改善をやめようとは思わなかった。

正直、何度も迷った。
「もういいか」って思った夜もあったし、
受け入れられない現実に、何度も落ち込んだ。

でも、それでも進みたかった理由はただひとつ。
「自分自身がこのままじゃイヤだった」という気持ちだった。

現状に文句を言って、疲れたと嘆いて、変わらないまま働き続ける。
そんな毎日に慣れていくことが、何よりも怖かった。
本当に怖かった

僕はもっと、前向きに働きたかった。
自分の頭で考えて、動いて、良くなっていく手応えを感じたかった。

たとえ孤独でも、周りに理解されなくても、
“自分が納得できる働き方”を選ぶことが、僕にとっての自由だった。

そしていつか、
今は見えない誰かが、
「あれ、なんかやりやすくなってる」って思ってくれる日が来るかもしれない。

そんな“いつか”のために、僕は進みたかった。

この経験が誰かの支えになれば

改善をして、孤独になって、それでも進んだ──
この経験は、まだ「成果」と呼べるものじゃないかもしれない。

だけど、僕の中では確かに何かが変わった。
自分の働き方に責任を持ちたいと思ったし、
自分で自分を納得させたいとも思った。

誰かに評価されなくてもいい。
でも、誰かが同じような壁にぶつかったときに、
「あ、自分だけじゃなかったんだ」と思えるような、
“心の足場”みたいな文章になれたらうれしい。

働き方も、生き方も、まだまだ試行錯誤中だけど、
これからも僕は、自由に働く道を自分で選び続けたい。

このブログが、誰かの背中を少しでもそっと押せる一回転になれたら。
それだけで、僕が書く意味は十分すぎると思う。

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